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展示内容

日鉱記念館では、本館、鉱山資料館での展示、旧久原本部(県指定史跡)、竪坑櫓等をご覧いただけます。

本館、鉱山資料館では、日立鉱山の開山から今日にいたる歴史的資料・各地の鉱石・鉱山機械等の他、工業都市・日立市の発展の経緯を映した資料群を展示しています。

当社グループに関する歴史的資料や、各地で産出された鉱石等をご覧いただけます。

第2次大戦中の1944(昭和19)年に建てられた木造のコンプレッサー室をそのまま使用して、鉱山で使われた機械類や世界各地で採取された鉱石を展示しています。

施設全体図

約12,000m2の敷地の中には、旧久原本部(県指定史跡)をはじめ生活と文化に関する様々な展示物があります。

また、四季折々の景観もお楽しみ頂けます。

地図のボタンを押すと各展示物の情報をご覧頂けます。

施設全体図

日鉱記念館(本館)

塵外堂

旧久原本部

電気機関車

第一竪坑

巻揚機室

第十一竪坑

鉱山資料館

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塵外堂

塵外堂は、大雄院製錬所が建設された名刹「大雄院」跡地の一角に自生し、「千年杉」と呼ばれた巨大な杉を用いて建設された持仏堂(仏像を安置する建物)です。
もともとは久原の神戸の自邸に建てられていたものですが、1985年の日鉱記念館の開設にあたって久原家から寄贈され、ここに移築されました。

旧久原本部

ここは日立鉱山開業当時、創業者久原房之助が居住し、幹部たちと労苦をともにした場所です。公害問題解決のために大煙突の建設を決意したのも、この本部の一室でのことでした。
久原は後に当時を振り返り、「苦心惨憺(くしんさんたん)處」と書した額を本邸内に掲げました(額は記念館本館内にて展示)。また建物の前に置かれた石は、その思いを偲び、本山地区で採られた川石に、久原の遺墨を刻んで記念としたものです。
現在この建物は、茨城県の文化財に指定されています。

玄関(※現在一般公開はしておりません)

久原による遺墨「苦心惨憺處」を刻んだ本山の川石

電機機関車

「十三号」と名付けられ、明治末期より1960年(昭和35)年まで約五十年間、専用電気鉄道および製錬所内の輸送用に活躍しました。
(株式会社日立製作所水戸工場に保存展示されていたものを同社のご厚意により借用)

第一竪坑

第一竪坑は、日立鉱山開山直後の1906年2月に開削を開始、1981年の閉山までの75年間、鉱山の大動脈として活躍しました。

※竪坑…従業員や鉱石を運搬するために地面と垂直に掘られた坑道のこと。ケージと呼ばれる乗り物に人や物を載せ、巻揚機を使ってロープを上げ下げすることにより昇降を行った。

巻揚機室

第一竪坑内のケージの昇降のための設備で、中央のドラムを回転させることにより、ワイヤーの先につながったケージの上げ下げを行いました。本設備は使用されていた当時のままの姿で保存されており、このような状態で残っているのは全国でも当所だけです。

※竪坑…従業員や鉱石を運搬するために地面と垂直に掘られた坑道のこと。ケージと呼ばれる乗り物に人や物を載せ、巻揚機を使ってロープを上げ下げすることにより昇降を行った。

内部

外観

第十一竪坑

戦後の増産計画の一環として1951年4月に開削を開始しました。それまでの竪坑とは異なり、断面は円形で、坑壁を鉄筋コンクリートで支保しています。

※竪坑…従業員や鉱石を運搬するために地面と垂直に掘られた坑道のこと。ケージと呼ばれる乗り物に人や物を載せ、巻揚機を使ってロープを上げ下げすることにより昇降を行った。