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5.日立の大煙突

目の前に広がる緑豊かな山々。
かつてこの辺り一帯から緑が消え、荒れ果てていたことがありました。
銅製錬によって発生する亜硫酸ガスが周辺の山々や農作物を枯らしたのです。

煙害について、科学的知見も防止技術も未成熟だった時代に
日立鉱山と地域住民は共に苦しみ悩み
また互いに誠意をもって激化する煙害問題の解決に取り組みました。

試行錯誤の末、世界一高い大煙突が建設されました。
煙害は激減し、何年にもわたる植林などにより
自然環境は少しずつ回復していきました。

工業都市・日立市の発展を見守り続けてきた「日立の大煙突」。
企業と地域住民が共存共栄をめざし、
共に煙害問題の克服と自然環境の回復に取り組んできた歴史が
今も大煙突に生き続けています。

5.日立の大煙突 エリア拡大図

※掲載しているのは一部の展示品です

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1.JX金属グループの歴史 詳細を見る2.模擬坑道 詳細を見る3.日立鉱山の発展 詳細を見る

4.鉱山町のくらし 詳細を見る5.日立の大煙突 詳細を見る6.グループの現況 詳細を見る

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1.ある町の高い煙突(パネル展示)

作者の新田次郎氏は、講演で日立市を訪れた際、日立市天気相談所長であった山口秀男氏の紹介で関右馬允(セキウマノジョウ)氏(日立鉱山で煙害問題が発生した際の地域住民側の代表者)と会い、1969年この小説を発表しました。公害が大きな社会問題として取り上げられていた時期であったこともあり、ベストセラーとなりました。

2.燻煙器(実物展示)

煙害が激化し始めた1909年、亜硫酸ガスが農作物や森林に与える影響に関するデータの収集と農事の改良を目的に作られました。農作物や樹木をこの中に入れ、一定の時間、所定の濃度の亜硫酸ガスに接触させてデータを収集しました。

3.煙突の写真・映像コーナー(パネル・映像展示)

工業都市・日立市のシンボルである大煙突。その倒壊前の雄姿を、写真や映像でご覧いただけます。