ページ内を移動するためのリンクです

1.JX金属グループの歴史

創業者・久原房之助が日立鉱山を開業してから100年余の歴史をパネルや資料でご紹介しています。日立鉱山をはじめとした日本全国・世界各国から産出された鉱石、日立鉱山の鉱床および坑道の透視模型もご覧いただけます。

1.JX金属グループの歴史 エリア拡大図

※掲載しているのは一部の展示品です

他のエリアを見る

1.JX金属グループの歴史 詳細を見る2.模擬坑道 詳細を見る3.日立鉱山の発展 詳細を見る

4.鉱山町のくらし 詳細を見る5.日立の大煙突 詳細を見る6.グループの現況 詳細を見る

ページの上に戻る

1.創業者 久原房之助

JX金属グループの歴史は、創業者・久原房之助が赤沢銅山を買収し、1905年に日立鉱山として開業したことに始まります。
久原は、日立鉱山開業当初から、機械化・近代化に特に注力し、日立鉱山の鉱石のみならず、他の鉱山から鉱石を買い入れて製錬する「買鉱製錬」を他社に先駆けて本格的に開始しました。
こうした革新的な政策により、久原が久原鉱業を設立した1912年には、日立鉱山は開業からわずか6年余りで、銅の生産量で全国第3位にまで上り詰めました。

2.日立鉱山の鉱石(実物展示)

日立鉱山は、工業都市・日立の発展の基礎を築くとともに、銅資源の供給を通して日本の近代化と経済発展に大きく寄与してきました。採掘された鉱石3,000万トン、含有する銅量にして44万トンにのぼった名山・日立鉱山は、1981年9月に76年の歴史を経て閉山をむかえました。
この鉱石は同年9月17日、第二藤見鉱体550mの採掘切羽で行われた、同山での最終発破によって採掘されたものです。

3.日立鉱山の鉱床と坑道の透視模型(模型展示)

日立鉱山の坑内で最も深いところは、地表から950mの地下でした。坑道の総延長は約700kmで、日立市から大阪府までの距離にあたります。

4.日立製作所の誕生と独立(パネル展示)

日立鉱山電気機械修理工場(1909年頃)

小平浪平(1874~1951)

株式会社日立製作所は、日立鉱山の本山採鉱場付近にあった、工作課所属の電気機械修理工場がルーツです。日本人の手による自主技術開発を目指す日立鉱山初代工作課長・小平浪平の進言により、1910年11月、電気機械製作専門の工場が建設され、1912年1月に久原鉱業所日立製作所となりました。さらに1920年2月、久原鉱業から独立して、株式会社日立製作所が設立されました。

5.鮎川義介と日産コンツェルン(パネル展示)

鮎川義介(1880-1967)

1928年、久原鉱業2代目社長となった鮎川義介は、財政面での脆弱性を払拭するため、同社を日本で初めての公開持株会社に改組し、傘下の多岐にわたる事業を持株会社に統括・管理させるとともに、公衆の資本を活用して積極的な多角経営を推進しました。これに伴い久原鉱業は日本産業と改称、翌1929年にはその鉱業部門を分離独立させて日本鉱業が設立されました。
その後、日本産業は傘下企業を急速に増加させ、その勢力は資源・機械・電力・造船・自動車・化学・水産・海運業等の分野にまで及ぶようになり、いわゆる産業資本型企業連合である「日産コンツェルン」を形成するに至りました。

1937年(昭和12)年6月現在
和田日出吉著「日産コンツェルン読本」から

6.海外における資源開発(パネル展示)

久原が1909年に朝鮮半島における資源調査を開始して以来、JX金属グループは、積極的に海外における資源開発に取り組んでいます。その足跡は世界中に及んでいますが、ここではそのうち主要な鉱山、油田等を紹介しています。